すみません。最近リフォームさぼってます。
そんなわけで、今日はネットを見ていてYahoo!ニュースで刺さった記事について。
「拾ってもらった」会社を辞められない氷河期世代
という記事。ちょうど私とほぼ同世代の四大卒の女性が1996年に就職浪人の末に高卒資格の郵便局員にやっとのことで採用されたという話。
私はさらにその少し後、更に状況が悪化し、就職超超氷河期と言われた97年98年に就活をしました。2年続きなのは、1年目は1社も内定を取れず、計画留年して次年度再度就活に及んだからです。1年目はまさに全滅です。ぐうの音も出ない。
記事の中で、
真夏の気温30度の中、面接に向かう途中涙が出てきた、
とあります。
「私は社会に必要とされていない人間なんだ」「何のために勉強してきたんだろう」
上記の辺り、刺さります。チンシャクニンオーヤも、全く同じでした。ネガティブな気持ちを持った時点で、負けは自己責任という人も居るでしょう。でも、チンシャクニンオーヤは記事の人の気持ち、痛いほど解ります。
チンシャクニンオーヤは留年中は超ガテン系肉体労働で汗を流し、生活費と学費を稼ぎました。その当時の同じように就職に失敗したバイト仲間の多くはアラフィフの未だに非正規雇用のままです。
私たちロストジェネレーションをスケープゴートにして、当時の中高年世代は定年まで逃げ切りました。
私は、たまたま、運よく、自分の力ではない、何か運命に助けられて、今の正社員の地位を得ました。未だ非正規で貧困の中にある当時のバイト仲間の事を思えば、同じ思いで同じ努力をした彼と私の間の違いが何かと問われても、チンシャクニンオーヤには自分が優秀だったから正社員に選ばれたなんてとても思えません。運がよかった。巡りあわせがよかった。自分が彼であっても何の不思議もない。ただそれだけです。
貧困は自分のすぐ傍にあるのです。どぶ板一枚下は地獄なのです。チンシャクニンオーヤは若くしてその深淵を覗いてしまいました。だからチンシャクニンオーヤは社会を信頼していません。捨て猫が人間を怖がるのと同じです。チンシャクニンオーヤは一度社会から捨てられた捨て猫です。たまたま今はやさしい飼い主さんに拾われているだけです。
大手企業に勤める人にとっては、まさか自分が貧困に陥るなんて思いもしないでしょう。
でも、日本のように公的にも、民間を含めた社会全体としてもセーフティーネットの貧弱な国では、人は些細なきっかけでいとも簡単に貧困のスパイラルに落ちていきます。
特に老後は恐ろしい。年金とは、国のお情けでいただけるものですから、制度を変える権力は国にあり、どんな不利益変更も甘んじて受け入れるしか私たちには選択肢はありません。
経済学者は、難しい学術用語を使って、年金制度が決して破たんしないと言います。でも、普通の人の感覚で考えて、もし民間の保険会社に60歳から貰えますよって言われて20歳の時に加入したのに、勝手に65歳からに約束を変えられた時点で、もうその保険は破たんしているのと同じなんじゃないかと思います。
すみません、この場合の「破たん」は、専門用語ではなく、一般的な言葉の意味で使ってます。言葉の使い方が間違っていると言われても、経済学は専門じゃないので知りません。一円も貰えなくなる事態はあり得ないのだから破たんではないと偉い人は言います。でも、減額されたり支給が繰り延べになって生活が成り立たなくなってしまえば、その年金に加入している意味が無かったって事になりませんか?普通の市井の人の感覚として。
IDECOもNISAも、「国はあなたたちの老後の面倒は見切れないから自己責任でお金を用意しなさい」という、国からのメッセージだと思っています。
以前の記事で、結婚後に賃貸か持ち家かで悩んだ末に不動産投資にたどり着いた話を書きました。でも、きっと、そのもっと以前から、社会に全面的に頼る人生は危険だという思いが深層心理に染みついているのだと思います。
ちょうどその記事の女性も
「趣味の投資セミナー」
に行っていると書いてありましたが、おそらく、投資は趣味ではなく自助努力としてのセーフティーネットだと思います。その根底には、チンシャクニンオーヤと同じような社会への拭い難い不信感が刻印のように刻まれているのだと想像します。
不動産投資は、自分と家族のセーフティーネットだと思います。